「テロ」という青葉の隠された意味を知らない日本人


テロリストと呼んだ男と交渉する米国




 先月、ニューヨークとワシントンで自爆攻撃があったことから、日本でも最近、「テロ」という言葉をよく耳にするようになった。しかし、日本人はその言葉の本当の意味を知っているのだろうか。
 英語のテロという言葉は、正確に用いた場合、極めて限定された意味合いしか持たない。それはただ単に今の社会が気に食わない政治的・宗教的な狂信者が、無差別の破壊的活動を行い人々を殺戮することである。オウム真理教による地下鉄サリン事件は、このケースに当てはまる。また政府が人々を抑圧する目的で無差別に武力行使する場合にも用いられる。この場合、スターリンが該当しよう。
 しかし、ある人々が自分たちは何らかの不正を被っており、その不正は武力行使によってのみ正すことができると考えている場合、この人たちを「テロリスト」とは言わない。彼らは「反抗分子」や「革命家」「ゲリラ」と呼ばれるべきである。このような武力行使の例は、北アイルランドやバスク地方、チェチェン、クルド地方、スリランカ、カシミール、そのほか数多くのもっと小さな地域に至るまで、広範囲に存在する。
 もちろん、これらの人々と対立する政府は、不正を終わらせるために彼らが武力を行使することなど認めない。従って、必然的に政府は彼らをテロリスト呼ばわりすることになるが、こうした政府の言い分をそのまま受け入れるのはよほどの世間知らずだけだろう。
 どんな対立にも当事者のどちら側にも正しい点と間違った点があり、間違いの多くは権力者側にあることはたいてい誰でも知っている。チェチェンに対するロシア政府の野蛮な振る舞いはその好例だ。テロと戦っているというモスクワの言い分を受け入れるような愚か者はいないことに、ほとんどの人が同意するだろう。
 もう一つの例は、北アイルランドである。この地のカトリックの人々が長い間ひどい不正に苦しめられてきたことは、多くの人が認めるところである。しかし、彼らは少数であるがゆえに不正を民主的に正す方法を持たなかった。彼らの実力行使を英国政府が抑圧したために、さらに武力行使に訴える悪循環が始まった。
 英国政府はこの人々をテロリストと呼び、彼らを壊滅させる必要があり、決して交渉はしないと主張していた。しかし、反抗分子が自分たちの大義のために進んで苦しみを受け入れ、暴力に出る姿勢を見せたために、英国政府も問題解決には相手との交渉が必要だと認めるに至った。今日ではかつてのテロリストが、北アイルランド政府の閣僚として正式に受け入れられている。不思議なことだが、これらの人々は正統な理由があって戦っているのであり、英国政府は解決のために話し合うべきだと最初に正しく指摘したのは、米国政府であった。
 イスラエルと米国は、かつてアラファトとPLOをテロリストと呼び、交渉などあり得ないとの立場を貫いていた。今日、両国は少なくとも、アラファトを正式に受け入れ、話し合いの必要があることを認めている。アフガニスタンには、米国が今、テロリストと呼んでいる人々がいるが、ソ連を攻撃していたころ彼らは「自由の戦士」と呼ばれていた。このような例は枚挙に暇がない。
 時代や状況によって言葉の使い方が変化することは、タミールの反抗分子やゲリラがスリランカ政府の船を攻撃したという、九月十四日のロイター電に見て取れる。そのニュースでは、スリランカ政府がテロリストの攻撃を撃退したと発表したことも報じられている。
 面白いことに、その翌日、両者の争いを終わらせるために、数十万人が話し合いを求めるデモを行ったというニュースが報じられた。このデモのきっかけは、三カ月前にゲリラ勢力がコロンボ空港での武力攻撃に成功したことだった。スリランカ政府がこの攻撃をテロリズムとして激しく非難したことは言うまでもない。

テロリズムは政府側の都合のいい言葉


 中東の「都会ゲリラ」によるこの度の米航空機乗っ取りや建物への攻撃はテロリズムとして、果てしない非難を浴びせられている。しかし、これらの攻撃を行った者たちは、野獣のような目をした年若い狂信者たちではない。多くは教育も技術も身に付けた分別ある大人たちである。家族を持つ者もいた。
 彼らが自分の命を進んで捧げようとする大義とは、中東の人々は過去四十年間にわたる米国の中東政策の過ちに対して怒りを表す権利があるということである。ごく少数の物の分かった米国人も含めて、多くの人々がこの見解を支持している。特に国連で繰り返し圧倒的多数で非難が浴びせられているイスラエルの政策について、国連決議に反しているにもかかわらず、米国が一方的に肩入れすることに多くの人々が反対している。
 テロリズムという言葉が軽蔑を含んで用いられるようになったのは、つい最近のことである。一九七〇年代以前の東西対立の時代、西側陣営では共産主義者とかゲリラという言葉を使ってさえいれば、敵との戦いについて多くの支持を得ることができた。テロという言葉を使うことで、米国や西洋諸国は、中東諸国の複雑な争いの本質や、時には妥協してでも解決する必要があることを曖昧にすることが可能になった。非西洋国である日本が、深く考えもせずにこれら西側諸国と足並みをそろえているのは誠に残念なことである。

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