週刊東洋経済
1996・5・18 週刊東洋経済
グレゴリ-・クラーク
「省益 」を超えた
決定システムを
1996.2.17 週刊東洋経済
日本にこそふ表わしい
「優先順位投票L
1995.12.16 週刊東洋経済
大蔵高官S氏に聞壱たい
大蔵省の八フル責任
最近私は、東京西部の多摩地区へ
車でふと出かけることが多い。ある
時、多摩川を渡るのに、一時間近く
も渋滞に巻き込まれた。私は地図で、
別の橋はないかと探してみたが、橋
の数が少ないことを知ってとても驚
いた。私はあとで、ロンドンとパリ
の地図を調べてみた。どちらも東京、
川崎、横浜を合わせた人口の五分の
一以下の人しかいない。だが、テム
ズ川、セーヌ川には多摩川の倍の数
の橋が架かっている。

なぜ、こうした不合理な状況が生
まれたのか。多摩川は自治体の境界
線を流れているために、誰も何とか
しなければならないという責任を感
じていないのではないか、と私は推
測する。どの自治体も、自分の領域
内の道路や橋のことしか考えていな
いのである。
 これは、日本で起こっていること
の多くに当てはまる典型的な例では
ないだろうか。住専問題でも同様の
例がある。四年以上前に、住専の危
機が明らかになると同時に農協系統
金融機関のずさんな融資姿勢が問題に
なった。しかし、それまでも、そし
てその後も、誰も対策を講じょうと
はしなかった。なぜか。それは監督
当局が大蔵省と農水省と複数だった
からである。
 他人の問題に立ち入り過ぎないと
いう習慣は、ある意味では日本の好
ましい一面ではある。どのグループ
も細胞のように、内部の問題は自分
でコントロールする。これは日本の
ダイナミズムの一つの源だ。それは
また、政治的な独裁主義の台頭を防
ぐ機能も果たしている。
 しかし、物事が明らかに悪い方向
に向かっている時には、縦割り行政
を超えた、より上位の権力による決
断が必要な場合がある。特に日本で
は、._そうした決断をしうる強大なカ
を持つ政府という考え方を育てる必
要があると思う。
 何年も前になるが、私はオースト
ラリア政府の内閣官房でコンサルタ
ントをしていた。毎日我々は、さま
ざまな事柄に対する内閣や委員会の
意思決定のために、他の省庁や団体
からの提案・答申を受けていた。こ
れらの提案をチェックし、首相や内
閣にアドバイスすることが我々の仕
事だった。そして首相や閣僚は、こ
れらの提案について議論を行った。
 時には、丸一日を議論に費やし、
検討を重ねることもある。もしコン
センサスが得られない場合は、彼ら
はそれぞれ賛成か反対かを投票す
る。多数を取った決定が、自動的に
政府の政策となる。そして、その決
定を遵守し励行することが、各省庁
の責任となった。
 日本には同様のシステムが必要だ
と思う。少なくとも日本は、官僚よ
りも内閣により大きな権限があると
いうことを明確にしなくてはならな
い。そして各省庁の官僚は、他の省
庁が適切な行動をしていないと感じ
た時に、内閣に対して積極的な提案
をしなければならない。
 いずれにせよ日本は、意思決定が
いつも先送りされ、危機が起こるま
で何も決まらないという状況を変革
する必要がある。(多摩大学学長) 
日本について、私の最初の、そし
て最も印象的なことは、70年代の初
めにさかのぼる。激戦だった総選挙
後の夜の出来事だ。
 選挙戦の期間中、対立する政治家
たちはお互いを痛烈に批判し合って
いた。しかし、選挙結果が出ると、
彼らはラグビーの試合後の選手のよ
うに友好的に見えた。彼らはお互い
の健闘をたたえ、選挙戦についての
逸話を披露し合った。その後、彼ら
は一緒に熱い風呂に入ったのである。

 時が過ぎて、日本の選挙戦も何と
なくフォーマルなものになってき
た。それでも、政党間の嫌味やイデ
オロギー的な憎悪が見られないこと
について、私はいつも驚き、喜ばし
いとも思ってきた。新しい総理大臣
はほかの政党の事務所を訪れ、党首
に挨拶をする。国会の質問でも、与
野党のやり取りは穏やかだ。西欧諸
国の大多数に見られる敵悔心むき出
しの光景とは、非常に趣が違う。

 不幸なことに、西欧諸国のほとん
どがこの違いに気がついていないよ
うだ。94年に自社さが連立を組んだ
時、ニューヨークタイムズとワシン
トンポストは、改革、特に選挙制度
改革で対立する政党同士の野合を意
地悪く攻撃した。彼らは、日本では
真のイデオロギー対立が存在しない
ことに気づいていないのだ。
 さらに、彼らはいわゆる選挙制度
改革の問題が分かっていない。以前
の中選挙区制度には、明らかに問題
があった。しかし、僅差でも相対多
数の得票者が当選するという欧米の
小選挙区制を日本に導入しても、問
題の解決にはならない。
 欧米では、当選者は原則として、
政治的なイデオロギーに基づく論争
を経て選ばれるものと考えられてい
る。しかし日本では、イデオロギー
はそれほど重要ではなく、勝利者は
巨大な組織や資金力を持った候補者
であることが多い。弱小政党や候補
者は無視されるのである。
 もし日本が、小選挙区制を定着さ
せようとするならば、オーストラリ
アの″優先順位投票″の考え方を参
考にすべきだろう。これは、有権者
がそれぞれの候補者に優先順位をつ
けて投票するというものだ。
 右派、左派、環境保護派の三人の
候補者がいるとしよう。通常、弱い
環境保護派への投票は無駄になると
思われがちだ。しかし、″優先順位投
票々の制度下では、環境保護派は左
右両派と話し合いを持ち、左右どち
らの政党がより進んで環境保護政策
を受け入れるかどうかを見極めるこ
とができる。そして、それを有権者
に知らせ、彼らに二番目に支持でき
る政党(優先順位)を提示するので
ある。
 投票の結果、環境保護派が三位に
なっても、その候補者への投票は、
より環境保護に熱心な政党への投票
となる。投票は無駄にならず、しか
も、大きなカを持つ政党は、弱い政
党の声に真剣に耳を傾けなければな
らなくなる。 

(多摩大学学長)      
日本の特徴の一つに、過去の過ち
に対する調査を好まないということ
がある。例えば、五年前に坂本弁護
士事件があったにもかかわらず、な
ぜ警察がもっと早くオウムの愚行を
阻止できなかったかについて、誰も
責任を追及しない。
 同じように、80年代のエイズウイ
ルスに感染した輸入血液製剤の使用
に関して、なぜ厚生省がその原因と
責任の追及を拒んでいるのか、誰か
が問い質すべきであろう。また、五
○〜六〇年前の軍と官僚による犯罪
についても、進んでそれを調べよう
とはしない。過去の過ちに対する調
査を避ければ、将来同じような過ち
が再び起こることになる。
 バブル経済もその一つ。バブル当
時、我々のようなごく少数のコメン
テーターは、地価の不合理な上昇に
対して警告を発していた。東京の近
郊をドライブするだけでも、日本の
都市には多くの有効活用されていな
い土地があることが分かる。地価の
上昇は多くの場ムq土地神話に基づ
く投機的な圧力によるものであり、
同時にクレージーな土地税制が売却
という形の土地供給を阻んでいた。
 さらに悪いことは、大銀行が進ん
で土地投機に対してカネを貸してい
たことだ。一度地価の崩壊が起これ
ば、深刻な金融危機を招くのは必然
であった。
 しかし当時、我々の忠告は無視さ
れ、有名な″有識者″たちはこう言
っていた。これだけ人口が密集して
大臣のような人物を非難する人々は
いる。彼は自分の前任者たち、すな
いる日本では、地価が高いのは当然
である、と (実際には、日本の主要
都市の人口密度は、欧州の多くの都
市よりも非常に低い)。官僚や政治家
たちは、大きな土地需要のある東京
は、世界の金融センターにふさわし
いといった話を好んでした。
 今日では、こういった話はすべて
ナンセンスであることがはっきりし
た。だが、そうした人々の責任を追
及することには、誰も興味がないよ
うだ。その代わり、例えば武村大蔵
わち、いま彼を非難している人々に
よって引き起こされた事態の対処に
当たっているのである。前任者の中
には、バブル当時大蔵大臣だった橋
本自民党総裁も含まれる。
 大蔵省には、官僚の間で「S」と
呼ばれている人物がいる。彼は海外
の多くからも、有能な日本官僚の新
世代の代表と見なされている。私は、
ちょうど三年前に彼とテレビの討論
番組で会った時、横並びで高い銀行
の手数料を例にあげ、金融システム
を不良債権問題から脱出させるため
に、大蔵省が消費者(利用者) 
に負担を強いている点を指摘した。
 彼は、大蔵省のおかげで、日本で
は少なくとも、アメリカで起こつた
S&Lスキャンダルのような問題は
起きなかった、と横柄に答えた。
 今日、日本はアメリカのS&Lス
キャンダルよりはるかに深刻な状況
に直面している。そして誰もが、そ
の原因が大蔵省の貧弱な監督のため
であることに同意する。S氏はいま、
自分に向かって何と言っているのだ
ろう。      (多摩大学学長)
1996・5・18 週刊東洋経済 1996.2.17 週刊東洋経済 1995.12.16 週刊東洋経済


Home