Keizai Kai - October 22, 2002

天下の正論 巷の暴論 
原発は日本にとって必要なものだが、今、ガ吋れを告げるときかもしれない

 政府は東京電力を非難しているが、
  日本ハムと同様、誰も責任を取っていない 


大人らしく理性均な選択したフランスの世論


  東京電力が何年も隠蔽しようとしてきた原子力発電 所のトラブルは、それ自体はさど危険なものではないかもしれない。だ がこのトラブル隠しは、日本の原子力発電の議論に壊滅的な影響を与えることになるだろう。

  私はここ数年、日本のいくつかの原子力 エネルギー委員会で委員を務めてきた。私 は最初から、日本の原子力産業全体が火薬 庫の上に鎮座しているようなものだ、と警 告してきた。日本の組織は、自らの繁栄と隼き残りだけを求める排他的社会であるから、間違いやトラブルは隠蔽しなければならなかった。だが、他の産業ならさほど問題にならないかもしれないこの体質が、原子力産業にとっては自滅へのシナリオとなった。

 いつかはどこかで重大な隠蔽が明るあに出る。そうすれば、日本の原子力発電を黙認している世論の徹妙なバランスが崩れてしまうだろうことは、明らかだったのだ。

 フランスの世論は原子力発電のメリットとリスクに向き合ったとき、大人らしく理性的な選択をしたが、日本はフランスとは適う。日本は不安定で感情的で、むしろわれわれアングロサクソンやそのほかの北欧社会に近い。これらの社会はほかにも日本と類似点が多く、そこでは反原発運動が大勢を占めている。

 日本の進歩派もそれと同じ感情的な方向へと動きつつある。今日まで、日本の原子力産業は、まあまあ大丈夫だからとなだめすかしていれば、頭の古い国民の了解を何とか取り付けて来られると思っていた。だが、イギリス、ドイツなどと同様、活動家や市民の運動が、そんな受身的な合意に異議を唱えるようになるのは避けられない展開だったのだ。

 そうなったからといって、フランス式のインフォームドコンセントに急に飛び付くわけにはいかない。国民を教育し大人とし   て扱うためには、すべて   前もって准丁備しておかな   ければならない。原子力産業は、トラブルに対しては何垂もの予防措置を講じると、くどいほど確約する必要があるのである。

 だが、ここ数年私が出席しているいくつかの原子力エネルギー委員会の報告書には、不断の警戒と安全性をうたった退屈で甘ったるい保証しか見当たらない。私は、原発には確かにリスクはあるが、業界はそれを最小限に抑えるためあらゆる手立てを早くしているという文言を入れようとしたが、その努力は実らなかった。

原発は必要という私のアイデアを無視してきた政府・官庁

 私はまた、業界に対する政府の管理とチェックがどれほど不十分なものかを論じようとした。検査はおぎなりで不十分である。これでは検査官は簡単にごまかされてしまうと。

 実問題の所在を知っているのは、実際に業界の深部で働いている人たちだけだ。彼らに自由に喋る機会を与えなければならない。業界内の内部告発を推奨することである。たとえ幹部によって告発者が押さえつけられるリスクがあるとしても、それが第一歩なのだ。理想を言うと、業界は内部告発の内容を受け取り、それを調査する公平な第三者のオンブズマンを設置すべきである。

 このオンプズマンについての私のアイデアはさっぱり受け入れられなかった。内部告発者にはその勇気に報いるべきだという私の提案も、さして評価されなかった。

 原子力装置のひび割れに対する東京電力の怠慢を公表しようとする人が実際に現れたが、彼はその訴えを聞いてもらうのに、業界を監督する経済産業省まで持って行かなければならなかった。そこまでしても、会社のあらゆる妨害により、彼の訴えが日の目を見るまでに1年余りも待たねばならなかつた。

 私は先に安全管理を評価する委員会で、重大な落ち度が明らかになった場合は、安全性を担当する政府高官が進んで辞任すべきだと提案していた。そうすることでしか、安全性に対して政府が真剣に取り組んでいると国民に納得してもらうことはできないからである。だがこのアイデアも相手にされなかった。

 この度のトラブル隠しで、政府の人々はここぞとばかりに東京電力を非難し、経営幹部を辞任に追い込んだ。だが日本ハムの隠蔽事件同様、政府側では誰も責任を取っていない。

 日本は今、あれほど努力を払ってつくり上げた原発産業に、別れを告げるときなのかもしれない。原発は日本にとって本当に必要なものであるにもかかわらず。しかし、すべては自らが、そして官僚が招いた結宋なのである。

57-経済界2002.10.22


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