FEATURETTE
戦車男の真実
by GREGORY CLARK
Published in the FCCJ Number 1 Shinbun, September, 2017

No1-2017-09_Tankman


この写真の何が間違っているのか?(かの有名な「戦車男」の写真がFCCJの会見室の壁に飾られている。

ニュース好きな人たちに聞けば、誰もが、それは勇敢な中国人学生(のちに戦車男とよばれるようになった)を写したもので、198963日〜4日にかけての天安門広場大虐殺の夜に、抗議する中国人学生たちを鎮圧するために向かっていた中国軍戦車の隊列を止めようとする姿であると答えるだろう。

雑誌タイムはこれを「不当な攻撃に対する挑戦を象徴する写真」であると言い切った。

真実は全くの逆である。

この写真を撮ったAP通信のカメラマン、ジェフ・ワイドナー氏によれば、この写真は天安門事件後の65日のものだという。戦車は広場から離れて去ろうとしていたのであり、広場に向かっていたのではない。彼らは、学生にではなく、買い物袋を下げて道を渡り、去り行く戦車を相手に度胸試しをすることにした男性に道を阻まれたのである。先頭の戦車は彼に怪我をさせるのを避けるためにわざと彼をよけた。

付け加えたいことがある。6月3日〜4日にかけての夜に天安門広場での虐殺はなかったのだ。戦いや殺害はあったが、ほとんどが広場の外でであった。ワイドナー氏は、怒った群衆によって兵士が軍の車に引きずられ殺されるのを見たという、その晩の様子を記している。

ニューヨークタイムズはこの戦車男の写真を何度も引用している。一番最近では「天安門抗議の新しい見方」を主張する何枚かのほかの写真の公表を賞賛する記事において使われた。(ニューヨークタイムズ2017225日)ニューヨークタイムズは正確さを宗とし、常にどんなに些細なことも訂正記事を掲載するほどだ。しかしながらニューヨークタイムズは、世界中、特に香港において、反中国の主張をあおるために用いた写真の注釈の誤りを指摘する私自身からの手紙を受け取ったことすら率直に認めることもしない。正確な報道を掲げる一流の新聞がなぜここまで頑迷であるのか?

認めよう:私はニューヨークタイムズが好きだ。数少ない他の新聞では国内問題に紙面を無駄に割いているところもあり、重要でないと思っている人も多いだろう。しかし、国内問題において革新的な傾向とのバランスをとるかのように、他国の政権を批判する場合に行き過ぎてしまうきらいがある。ニューヨークタイムズのイラクの大量破壊兵器に関する誤報は悪名高く、この時は謝罪に追い込まれるほどだった。しかし、マシンガンを持った兵士たちが何百人もの学生たちを掃討したという記事で、天安門広場大虐殺の神話を大々的にばらまいた張本人であることに対し、何の謝罪を示す気配もない。

写真の話では、すべての発端となった事件の写真はどこで見ることができるのか。広場を取り囲んだ強烈な反政府思想を持った群衆を排除するために、北京にバスで入ろうとする軍隊に対する火炎瓶攻撃のような写真を。そのような写真は存在する。ロイターが何枚か持っているというのは知っている。陸橋の下に積み重ねられた焼け焦げた兵士の死体や、階段で避難する所を探すひどく焼けて黒ずんだ兵士たち。しかし、我々があまりに多く目にしたのは、広場の外で群衆や学生が兵士たちをひどく攻撃し、兵士があまりに醜い仕返しの攻撃をしたのが天安門大虐殺事件であったという報道であった。政権は当初非武装部隊を送り込もうとしたがバカにされて群衆により簡単に阻まれてしまったという事実も報道されていない。

天安門の写真の背景は焼け焦げたバスである。これは誰の仕業とされているか?この写真を含む焼け焦げたバスを写した何枚かの写真は、兵士の攻撃に対する報復を報道するために撮られたようである。実際、バスが焼けたのは、事件後ではなく事件前であって、今でも学生たちの抗議に対する政府の怒りの主な理由となっている。抗議はもともとほとんど1ヶ月は寛大に取り扱われ、何人かの政権幹部は交渉さえ試みた。

確かに、群衆が反政府的になるのはもっともであった。馬鹿げた政府の政策に30年もの間苦しめられたのだから。しかし、それは西側メディアの怠慢の言い訳にはならない。ワシントンポストの当時の北京支局長だったジェイ・マチュウによって、メディアの怠慢さが、1988年のコロンビア・ジャーナリズム・レビューに掲載された「天安門神話の報告、そして受動的新聞の代償」と題した記事に非常に細かく記述されている。

マチュウは、彼が呼ぶところの「学生虐殺の神話を裏付けたドラマチックな報告」を追求する。彼は、いわゆる、中国人の大学生が事件後すぐに香港プレスに書いたとされる、広く配られた記事について注目している。その記事では、広場の記念碑の前で学生たちを掃討するマシンガンについて書かれている。(どういうわけか、多くの西側の人間たち、スペインTVEの撮影チームも含めて、この様子に気がつかなかった。)マチュウは加える。「ニューヨークタイムズは事件の1週間後である612日にこの拡大判を載せたが、その報告を裏付ける証拠はなく、報じられた目撃者の存在は証明できなかった。」やはり、その怪しい記事は香港に駐在するアメリカとイギリスの諜報機関の仕事による可能性が高く、反中国の素材を協力的なメディアに植えつけたいと強く願っていただけであった。

マチュウは次のように述べている。当時北京に駐在していたニューヨークタイムズの記者のニコラス・クリストフはその記事を事件翌日に出そうとしたが、彼の記事は中面に回ってしまい、結果として「神話は生き続けた」。皮肉にも、同じクリストフが、暴動中の軍事行動の生き生きとした描写を展開し、これにより彼は名誉ある記者賞を獲得し、大虐殺神話を確固たるものにするのに貢献した。どちらかといえば、彼はもともと事件後にでっち上げの香港の記事を自分のところの新聞で否定したことで、賞に値するものだった。

元祖大虐殺神話の他の主要なネタ元は、マチュウによれば、学生指導者のウー・カイシで、彼が広場内で200人の学生が銃殺されるのを見たと主張した。しかし、マチュウは加える。「のちに証明されたことだが、その学生は、彼の言う事件が起こる数時間前に広場を後にしていたのだ。」ウーは721日にFCCJを訪れて、いわゆる天安門での経験をもとに「報道の自由」を推進する記者会見に参加した。

他者を批判する前に、西側メディアーとりわけニューヨークタイムズは、本当のニュースと本当の写真を無視して嘘のニュースと嘘の写真を掲載するという自らの心構えを見つめ直すべきである。

グレゴリー・クラークは中国語を話す元オーストラリア外交官。大学での仕事にも従事し、FCCJの長年の会員。1971年、東京での特派員時代にオーストラリア政府の反対の中、ピンポン外交に参加するオーストラリアチームを組織した。ロシア語、日本語も話し、房総半島でキウイフルーツを栽培する。


Published in: September 2017